『愛』と『幸せ』の見つけ方
今さらみたいですが、フリクションの便利さに、ドップリはまりまくっているKoheiです。
手帳 × フリクション、最高です。
さて、最近、こんな本を読んでいます。
まだ読んでる途中なんですが、こんな文章が綴られています。
『愛において、私が探し求め、それに触れたいと切望する当の対象に、私はすでに結びつけられている。何かに「手が届かない」と感じることができるのは、「手が届かない」ものを持つという仕方で、すでにそれに触れているからである。もっとも激しい愛は、その人を愛することは出会う以前に宿命によって定められていたという確信を伴う。』
※本文P24より引用
どうやったら、こんな思考回路になって、こんな表現ができるのか。
人は誰かを愛し、愛され生きてゆくモノ。
『愛なんて関係ないよ』っていう人もいると思うけど、そんなことはない。
少なくとも『自分』とは一生つきあっていかなくちゃいけないし、そんな『自分』を愛せないなんて、辛すぎる。
実際に肌で触れてその温かさを感じられなくても、それを想像し、思うことで心では触れているということでしょうか。
よく映画やドラマに描かれるような『燃えるような恋』。
色々な出来事、困難を乗り越えて、『愛』を成就させてゆく。
それは反面、何かを手放すということ。
ひいては、ここに書かれている『愛』とは、『幸せ』という言葉にも置き換えられるような気がします。
つまり、『もっと幸せになりたい』って思うけど、誰だって必ず幸せになれるようになっている。その感情を無条件に感じられるか…なのかな。
とか、そんなことを考えながら読んでます。
オススメです!!
・・・・・・・・・・
🐴池田幸平
📧always.enjoy.ky@gmail.com
💪パーソナルトレーナー(NSCA-CPT)
🏀中高保健体育第1種教員免許
🍎野菜ソムリエ
📷️Instagram(ikeda_kohei_personaltrainer)